つれづれなるままに

日常を語る

就職祝いにもらった鉄筆

 

 何十年前の話。先に就職した友達からお祝いに鉄筆をもらいました。鉄筆と言っても何に使うのかと思いでしょう。

 当時、資料作るのに必要なものでした。片面に蝋が塗ってあらので、それを鉄筆の先で、ガリガリと削りながら文字を書いていく、というより削っていく。そういう作業に使いました。出来上がったら印刷用の紙を置いて、その上に網を乗せ、準備した原紙を乗せて、まんべんなくインクを塗り、1枚1枚印刷しました。

 そのうちボールペン原紙なるものが登場し、鉄筆はお払い箱になりました。印刷機のほうも手が汚れないように工夫したり、インクのついたローラに巻き付け、くるくると回転させながら印刷していくものになりました。。当時としては、画期的であり、楽になったことを、喜び合いました。

 けれども、資料を活字体で準備するのは大変なことでした。

 英語の場合はアルファベット数が26文字と少なくて良いのですが、日本語の場合そうはいきません。平仮名,カタカナ、まあ、ここまではよしとしても、問題は漢字数の多さです。常用漢字数が約2000字、固有名詞に関わる名前や地名に使われている漢字をいれたらさらに3000字。これらの文字群が、ケースのに並んでいます。その中からピンセットで1個1個つまみ上げ下書きに沿って並べていくのです。

 今,思い出しても、目眩がしてきそうになります。

 そうこうしているうちに大きなパソコンができ、それが机の上に乗っかるほどのサイズとなり、ついにはノートパソコンとも呼ばれるようなサイズになりました。

 そのスピードと内容は、私の脳みそでは想像もつきません。今日の味噌汁の具は何にしようか、位のレベルなのですから。ほんとに人間の知恵と素晴らしいものだとつくづく考えされます。

 そして今こうして手が不自由になっても音声で入力することもでき、おかげさまでこのようなブログを立ち上げ、日々の暮らしを見つめる作業を文章にすることができています。本当にありがたいと思っています。     

 1本1本羽を抜きながら機を織る鶴ほどの苦労は無いにしても、書いては消し,消してはまた書きの繰り返しです